【国境を撮る④】角栄に見た「弱者への情愛」 留学の挫折バネに追う

雪深い故郷・新潟の風景に溶け込む角栄=1984年12月(山本さん提供)

〈大学卒業の直前、米国での「挫折」が世界140カ国以上の現場を踏む原動力に〉
 最初の就職先は小学館だったが、とにかくいい時代だった。タクシーチケットの束を尻ポケットに入れ、それを使ってどんどん現場に向かうことができた。
 特に、海外に行く仕事は断らなかったね。海外に強い思い入れがあったのは、日大卒業直前に米国留学した1966年、挫折を経験したことが大きいね。
 米国の大学で1年間、写真の勉強をしようと考えた。大学に入学する半年前に語学勉強のため渡米。滞在したカンサス州のウィチタは大穀倉地帯でね。日が暮れるのが夜10時頃で、9時ぐらいになると夕日が小麦畑に注がれ、金色に光るんだ。それがものすごくきれいだった。
 5カ月が過ぎたころ、木に登って写真を撮っていたんだけど、腰かけてた枝が折れて3㍍落下。第二腰椎にひびが入って病院へ行ったけど、米国は医療費が高くてね(笑)。仕方なく、日本へ戻ってきてしまった。
 「猛烈に勉強するぞ!」って気持ちで行ったわけではなかったんだけど、親父からわざわざお金を借りての留学だったし、仲間からも送り出してもらっていたからね。しかも入学前の数カ月の滞在(笑)。それを思うと、恥ずかしいやら、悔しいやら。
 それで、家業の印刷会社を弟に任せカメラマンになった。「必ず外国でやり直したい。納得できるまでやってやる」って気持ちが、強く心に残った。

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