「無駄」と通り過ぎる人たち 家族の高齢化も進む 水居徹さん―「拉致考える集い」発言より

 5月30日に行われた「考えましょう 私たちの安全を 拉致問題を考える石垣の集い」(主催・特定失踪者問題調査会)で、特定失踪者の水居明さん(当時52歳)の息子・水居徹氏(59)の発言趣旨は次の通り。

 〈当時を振り返って〉
 石垣の海が好きでよく来るが、海を見ると複雑な思いになる。
 父は不動産賃貸管理をやっていた。釣りが好きで、土日のたびに宮崎市の青島辺りへ行っていた。
 1988年7月17日、父は釣り仲間の友人・林田幸男さんと一緒に林田さん所有の遊漁船「共擁丸」(1㌧)で午前4時頃出港し、そのまま帰らなかった。
 翌日、私は東京から宮崎に向かった。着陸寸前に見た宮崎の海は、全く波も無く、底が見えるような感じだった。父は前に一度、遭難したことがあったので「なぜこれで遭難したのか」と疑問に思っていた。
 当初から北朝鮮による拉致という話はあった。前年の87年には大韓航空機爆破事件があったり、九州沖合では北朝鮮らしい船が目撃されたりしていたから。しかし、私は「拉致はないだろう。日本海側じゃないし」と思っていた。

 海上保安庁と連絡をとりながら、民間漁船を出してもらうなどして捜索していたが、当時の目撃証言で気になるものが2つあった。
 一つは青島沖合の釣り場で早朝、白いトレジャーボートの後ろに2人組が乗っていて、その1人が手を振っていたというもの。ただ、その2人が父と林田さんだとしたら、運転する人が別にいるはずだから、私は当時、「父たちの船ではない」と判断した。
 もう一つは、父が失踪した翌18日に、福岡から宮崎に飛行機で来た人が、機内から沈んでいる船を見ていたが、「真っ白な船がそのまま沈んでいた」という証言。しかし、船に詳しい人に聞くと、「転覆したら黒色や赤色の腹を見せる」ということだったので、私はその時も「父とは別」と打ち消した。
 1カ月、2カ月が過ぎ、捜索も打ち切られ、あきらめていた。

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