【視点】昭和天皇の苦悩うかがえる新資料

 戦中戦後の激動期、常に渦中の人だった昭和天皇の苦悩がうかがえる貴重な内容だ。初代宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇との詳細なやりとりを記録した「拝謁記」と題した資料が19日、公開された。手帳やノート計18冊で、NHKが遺族から提供を受けていた。資料の公開は、沖縄の米軍基地や憲法9条など、現在に至っても尾を引く問題を考え直す契機にもなりそうだ。
 田島は1948年、宮内庁の前身である宮内府長官に就任、49年から53年まで宮内庁長官を務めた。昭和天皇に直接接する機会が多かった人物だ。
 注目されるのは47年に施行された憲法に対し、52年の時点で改正の必要性に言及していることだ。同年3月11日に「警察も医者も病院もない世の中が理想的だが、病気がある以上は医者ハ必要だし、乱暴者がある以上警察も必要だ。侵略者のない世の中ニなれば武備は入らぬが、侵略者が人間社会ニある以上、軍隊は不得已(やむをえず)必要だといふ事ハ残念ながら道理がある」と発言した。田島は「最近の戦争で日本が侵略者といはれた計(ばか)りの事ではあり、それは禁句であります」と苦言を呈したという。
 「拝謁記」には、ほかにも再軍備の必要性を指摘する発言があり、憲法9条への昭和天皇の問題意識がうかがえる。
 米軍基地に関する発言も記述されている。53年6月17日に「日本の軍備がなければ米国が進駐し、守つてくれるより仕方はないのだ」、同年11月24日に「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ。その犠牲ニハ、全体が親切ニ賠償するといふより仕方ないと私ハ思うがネー」、53年11月に「全体の為ニ之(これ)がいいと分れば、一部の犠牲ハ已むを得ぬと考へる事、その代りハ一部の犠牲となる人ニハ全体から補償するといふ事ニしなければ、国として存立して行く以上、やりやうない話」と述べたとされる。

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