【視点】沖縄の品位下げた追悼式

 沖縄戦犠牲者の冥福を祈る県の沖縄全戦没者追悼式は、今年も米軍普天間飛行場の辺野古移設断念を訴える知事の政治ショーと化した。安倍晋三首相に浴びせられた罵声も、御霊の安らかな眠りを妨げなかっただろうか。このような行為を、間違っても「ウチナーンチュの心」と呼んではいけない。それどころか、沖縄の品位を下げた残念な追悼式だったと言うほかない。
 追悼式は本来、沖縄と本土が心を一つにして恒久平和の願いを発信するイベントだ。軍民20万人以上もの犠牲者を出した地上戦の悲惨さを、沖縄、本土を問わず、長く語り継ぐことを確認する場でなくてはならない。
 辺野古移設の是非は、基地の県内移設が負担軽減になるのか、ならないのかというイデオロギー的な問題だ。移設に反対することが平和運動であるわけでもなく、沖縄戦犠牲者の追悼とは何の関係もない話題である。
 しかし玉城デニー知事は「辺野古が唯一との固定観念にとらわれず、沖縄県との対話による解決を強く要望する」「県民投票の結果を無視して工事を強行する政府の対応は、民意を尊重せず、地方自治をもないがしろにする」などと発言した。これでは主催者のあいさつなどではなく、知事の政策を主張する演説に過ぎない。厳粛な場であるべき追悼式にはふさわしくなく、県民のさまざまな思いを包括すべき「平和宣言」に盛り込むべき文言なのか疑問だ。
 追悼式の政治利用とも呼ぶべき行為は、翁長雄志前知事時代から顕著になった。玉城知事は無批判に前知事の方針を踏襲し、追悼式の本来の意義を損なっている。

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