【視点】国歌アンケ―ト 問題提起受け止めよ
国家「君が代」を歌えるか児童生徒に問うアンケートは「内心の自由」の侵害に当たるのか。石垣市教育委員会は、市議会が決議で求めていたアンケートを実施しないと決めた。市教委の判断は尊重されるべきだが、理由は見極める必要がある。
この件の発端は、入学式や卒業式で子どもたちが「君が代」を歌っていないという友寄永三市議の指摘だ。
保護者から同様の声が寄せられているとして、学校現場で「君が代が適正に指導されているのか、市議会で複数回質問した。
学習指導要領では教員に対し、児童生徒が国歌を歌えるよう指導する義務を定める。市教委は友寄氏の質問に対し、学校での指導には問題はないとの答弁を繰り返し、これを疑問視する友寄氏との間で、言い分は平行線をたどってきた。
この状況にいわば業を煮やした形で、友寄氏が決議を提案。これに与党が賛同し、議会の意思として児童生徒に対するアンケート実施を市教委に求めることになったのだ。
子どもたちが「君が代」を知っていて歌いたくないというのであれば、それはまさに内心の自由であり、誰にも歌唱を強制する権利はない。
だが学校で教員が「君が代」を教えず、子どもたちに知識がないために歌えないというのであれば、これは教育の責任だ。
アンケート実施を求める意見書に対し、退職教職員会などは「沖縄戦を体験した県民には『君が代』に違和感がある」などと反対した。この動きを見ても分かる通り、特定のイデオロギーを理由に「君が代」を子どもに教えないというケースが、学校現場で実際に存在する可能性がある。
子どもたちは「君が代」を歌わないのか、歌えないのか。それは子どもたち自身に聞かなければ分からない。アンケートを求める市議会の決議には、合理性があるというべきだ。決議は政治的介入ではなく、教育行政に対する議会のチェック機能発揮である。
教育委員はアンケートを実施しない理由として、内心の自由の侵害であるとか、教育行政の独立性を侵すという理由を挙げたが、いずれも納得できない。
むしろアンケートに反対する団体やメディアの批判に対し、波風を立てることを恐れたとの印象すら受ける。
麗澤大学の八木秀次教授は本紙のインタビューで「石垣市は国境に接する自治体であり、主権者としての意識が他の自治体よりもいっそう求められる」と「君が代」指導の必要性を説いた。
国際社会でも国歌を歌えない人間は尊敬されない。アジアの複雑な情勢を意識せざるを得ない地理的状況にある石垣市の子どもたちは、より「日本人」としての自覚を持たなくてはならない。
国境のまちが「子どもたちが国家を歌えない」と指摘される現状のままでいいのか。市教委は今回の判断は判断として、市議会の問題提起を重く受け止めるべきだ。