【視点】抗議のあり方問い直せ
愕然とさせられる事故が起きた。米軍普天間飛行場の移設先、名護市辺野古の海域で、抗議船2隻が転覆。乗船していた高校生18人と乗組員3人が海に投げ出され、船長1人と女子生徒1人の計2人が死亡した。
まずは2人の冥福を祈りたい。そして急がなくてはならないのは原因究明だ。この事故はあまりにも疑問点が多い。
抗議船に乗っていた同志社国際高校(京都府)の生徒たちは辺野古移設の工事現場を見学しようとしており、これは「平和学習」の一環だったという。
ここでまず疑問がわく。なぜ抗議船に乗って辺野古の海に行くことが「平和学習」なのか。平和学習とは戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶことだが、辺野古移設工事の見学が平和学習だというのは常識的な感覚にそぐわない。
同校は1年間かけて沖縄で平和学習を行っており、辺野古の見学はその集大成との位置づけだったという。学校側は抗議船への乗船に政治的な意図があったことは否定しているが、平和学習にこうしたプログラムを組み込んだことの是非が問われそうだ。
転覆した抗議船「不屈」「平和丸」を運航するヘリ基地反対協議会に対する疑問も多い。「不屈」には亡くなった船長と生徒8人の計9人、「平和丸」には亡くなった生徒を含む10人と乗組員2人の計12人が乗船し、2隻とも定員ぎりぎりだったという。
2隻は出港後、相次いで突然の高波にのまれたというが、当日は波浪注意報が出ており、事故の調査に当たっていた海保のボートも転覆するほどの海況だった。出港の安全性は誰がどう判断したのか。
抗議船2隻は平和学習の生徒だけでなく、長年、ジャーナリストや政治家を乗せて辺野古の海へ向かっていたが、海上運送法に基づく事業者登録は行われていなかった。
安全管理規定の策定や安全統括管理者の設置など、そもそも運航の安全性を担保する仕組みが存在せず、違法な航行が繰り返されていた可能性がある。
仮に学校側の要望だったとしても、高校生を抗議船に乗せて海に向かうことをよしとする発想も不可解だ。辺野古移設反対という政治目的のアピールに教育を利用していないか。
辺野古移設の抗議行動を巡っては、資材の運搬が行われている名護市の安和桟橋周辺でも2024年6月に死傷事故が起きている。
基地反対という大義名分のためであれば、ダンプカーの前に飛び出したり、小さな船で工事現場の海へ漕ぎ出したりする抗議行動も正当化されてきた。3人目の犠牲者を出した今回の事故は、陸でも海でも危険な抗議行動が常態化していたことをうかがわせる。
基地反対運動そのものに、イデオロギーのためなら人命軽視もいとわないという考え方が内在されていないか。抗議行動のあり方そのものを再考する時期だ。
玉城デニー知事は今回の事故を「重く受け止める」と語ったが、危険な抗議行動をたしなめる発言はいまだに聞かれない。県行政はこれでいいのか。