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琉球「中国属国の証拠」否定 石井氏「逆に薩摩の統治追認」 中国メディア宣伝に反論

2025/12/21

1629年(崇禎2年)、明国皇帝が出した「明諭琉球国王勅」(遼寧省旅順博物館、画像は石井望氏提供)

沖縄が日本でないかのような宣伝を活発化させている中国メディアが、1629年、明の皇帝が琉球国王に下した勅書の存在を引き合いに「琉球が中国の属国だった証拠」と報じている。これに対し長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)は、史料を精査した結果「逆に日本が琉球を統治していた事実を明の皇帝が正式に認めた内容だ」と指摘。中国のプロパガンダを真っ向から否定した。

皇帝勅書は遼寧省の博物館が公開し、中国国営英字紙「チャイナ・デイリー」が「新しい琉球国王に属国としての義務を守るよう促す内容」と報じた。中国国内では、この勅書を根拠に「琉球はもともと中国の属国だった」という主張がSNSや新聞テレビで拡大しているという。

石井氏によると、勅書は琉球の尚寧王の事績を述べた内容。1609年に薩摩が琉球を併合したものの、すぐに「堵安」(とあん)することができたとたたえる一文がある。

堵安は「安堵」と同じ意味で、領地が安泰であることを意味する。石井氏は「薩摩による琉球併合がすぐに安定的統治に至ったことを明の皇帝が高く評価していたことを示す内容」とする。

明の福建軍事長官は1611年に琉球で検地が行なわれたことを5年後の1616年に認知。1617年には、明が3年前に天下に大赦を行なったという理由にかこつけて、福建海防副使が薩摩の琉球統治を認めた。

こうした流れの中で、明は1629年、薩摩統治下の琉球国王を冊封して貿易を継続した。中国側が公開したのはこの際の勅書となる。

勅書が出た背景として石井氏は、琉球との貿易再開に対しては、科挙派官僚から「薩摩は倭寇だ」として反対が根強かったことを挙げる。「そのため、勅書には琉球の治安が良好であることを示す『堵安』の二字を特に入れた。この二字は琉球が薩摩に統治されている事実を追認したもので、中国の主張と全く逆に、琉球が日本に統治されていたことを示す材料」と話した。